2017年09月17日
ダンスを初めたきっかけ
ダンスを初めたきっかけと、時代背景
ダンスを初めたきっかけをよく聞かれる。
プロフィールなんかでは細かく紹介できないので、こんな話もたまには。
小学1年の時、近所のお米屋のおにーちゃんの家に遊びに行った時、Break Dance って映画を観せてもらった。当時はレイザーディスクってので、CDみたいにキラキラしていて、大きさはその何倍もあるヤツ。アナログレコードの12incサイズぐらいだったかな?
近所の数人で集めてガムテープで繋いだ段ボールに、よく滑る様にロウソクでロウを塗って踊ってた経験があった。そんで背中でクルクル回るバックスピンや、ムーンウォークを練習した記憶がある。
でも、それは今に繋がる切っ掛けでは無く、あっという間に、飽きてしまい止めてしまった。
そして十年ほど経って、それは突然やって来る。バブル時代の終わり頃?
そう、Bobby Brown。
近年ではホイットニーヒューストンの元旦那として再び取り上げられていました。(余り良い取り上げられ方では無いので、ちょっと悲しい)
1990年の16歳になった年、彼の"Every Little Step"って曲が日本でもHitしていて、当時は彼のファッションを真似した人達(たぶん、Discoに出入りしていて、日焼けした裸にダブルのジャケットを着て、GOLD! ブリンブリン。何なら髪型はボックス)を "ボビオくん" って言ってた。
当時住んでた家の近くにローラースケート場があって、そこにジュークボックスって機械があった。100円入れると好きな曲が選べてその店の全テレビ画面にその曲とミュージックビデオがながれる、っていう特典付きなヤツ。
そこでBobby Brown に出会う訳です。真黒な人達が、ボックス頭にスーツを裸に着て、軽快なステップを踏んでるわけですよ。それはそれは凄い衝撃で、バンドブームもあったりで、RCサクセション、日本語PUNKやボン・ジョビやKISS(いとこの影響)、ロックを薄く聴いていた自分には、全く新しい世界が飛び込んで来た。
そして、ブレイクダンスでは無いスタイルのダンスがそこにはあった。
周りの友達は、当時、チーマーってのが流行ってて、刺激を欲しいヤツはそのメンバーになったりで、音楽はほぼ、ハードコアやPUNK。その当時の自分はそれとは違う何かを求めていた気がする。
で、ダンスに興味を持った訳です。
当時はそのダンスが何のダンスジャンルなんか全然知らなかったし、見よう見まねっ、てヤツでスタート。
当時はMC HAMMER なんかも大流行していて、洋楽が好きだった記憶は無いけども、自宅にも親父が持ち込んだであろうMC HAMMERのCDやVHS(ビデオテープ)があった。
それなんかのステップを真似してみたり。
当時の静岡でのダンスの情報源といえばテレビでDance Dance Danceって番組がやってたぐらいで、少しするとダンス甲子園が始まって、その後、ZOOの登場!(前後は定かではないが)
でも、静岡ではここが1番早かったであろう場所。
浅間通りのちょっと入ったところに
"Style"
っていう、B系専門の洋服屋があって、そこはそこでまた、コアな先輩達の集まる場所。ドレッドやボックス頭の人達がいて、強面。そこには見たことのないビデオがいっぱいあって、制服着たまま、自転車で恐る恐る行ってた。簡単には見せてくれなかったし、高校生の自分にはウエアーも高かったなぁ。買える範囲で。
自分的にはそこで見るダンスがストライク!情報的には静岡で1番速かったと思う。New School(HIP HOP、HOUSE)っていう新しいダンススタイル。ALIVE TVやZOO裏の映像。
POLO !
で、同じ高校でも2、3人ぐらい興味ある友達がいて、練習を初めたわけ。
でも、高3なったあたりで1人になってしまったので困っていると、1学年上にダンスをやっている先輩がいるって事で紹介してもらい、その先輩の所属しているチーム練習に参加し始めた。それが、Street Funkys っていうチーム。当時のメンバー構成は30代のリーダーが1番年上で、数人の社会人と大学生や1つ上の学年の高校生が数人。ブレイキンを主体に、当時流行っていた複合ジャンルスタイル、POPやI.S.D(New Jack Swing)を取り入れたスタイル。
少しそれるけど、
静岡の他のチームは、LOCKやSOULダンス中心の"OB-1"(OB-1 Jr,ってのもいたなぁ)や、女性のみのJAZZのチーム"Seventh Avenue"がよくDiscoでショウケースをしていた。
ゲストダンサーには東京から"Tokyo All Stars" (shuさん、Yanagiさん、OZさん、Kenyuuさんなど)が来ていて、目の前でバチバチのHITやWAVE、ヘッドスピンを決めるわけですよ。あの衝撃がヤバかった!
で、話しを戻して、、、
暫くすると、同じ歳の違う高校に通う子達も集まって来て、みんなで練習してました。作品作ったけど、ダメだしされたりして。
週2ぐらいの練習日で、当時、部活でサッカーをしてたので、部活終了後、練習場所へ自転車で向かう訳です。
家に帰るのは23:00過ぎ。よくお袋に怒られてました。でも、また行ってしまいます。
ショウに出してもらったり、高校生では見れない世界を背伸びしながら見せてもらったりしました。
それからのめり込む様にダンスにハマって、色々な人との出会いで、今に至ります。
世代でいけば、New School の第1世代にあたるのかな?
当時の静岡にはこの辺からダンスを初めた人、そして現在まで続けている人って少ないのでちょっと寂しい。
そこからの話は濃いモノで、長くなるのでまた、後日にしておきます。
静岡にも諸先輩がたがいて、土台があったお陰で、今日のダンスシーンがある訳ですね。
感謝です。
ダンスを初めたきっかけをよく聞かれる。
プロフィールなんかでは細かく紹介できないので、こんな話もたまには。
小学1年の時、近所のお米屋のおにーちゃんの家に遊びに行った時、Break Dance って映画を観せてもらった。当時はレイザーディスクってので、CDみたいにキラキラしていて、大きさはその何倍もあるヤツ。アナログレコードの12incサイズぐらいだったかな?
近所の数人で集めてガムテープで繋いだ段ボールに、よく滑る様にロウソクでロウを塗って踊ってた経験があった。そんで背中でクルクル回るバックスピンや、ムーンウォークを練習した記憶がある。
でも、それは今に繋がる切っ掛けでは無く、あっという間に、飽きてしまい止めてしまった。
そして十年ほど経って、それは突然やって来る。バブル時代の終わり頃?
そう、Bobby Brown。
近年ではホイットニーヒューストンの元旦那として再び取り上げられていました。(余り良い取り上げられ方では無いので、ちょっと悲しい)
1990年の16歳になった年、彼の"Every Little Step"って曲が日本でもHitしていて、当時は彼のファッションを真似した人達(たぶん、Discoに出入りしていて、日焼けした裸にダブルのジャケットを着て、GOLD! ブリンブリン。何なら髪型はボックス)を "ボビオくん" って言ってた。
当時住んでた家の近くにローラースケート場があって、そこにジュークボックスって機械があった。100円入れると好きな曲が選べてその店の全テレビ画面にその曲とミュージックビデオがながれる、っていう特典付きなヤツ。
そこでBobby Brown に出会う訳です。真黒な人達が、ボックス頭にスーツを裸に着て、軽快なステップを踏んでるわけですよ。それはそれは凄い衝撃で、バンドブームもあったりで、RCサクセション、日本語PUNKやボン・ジョビやKISS(いとこの影響)、ロックを薄く聴いていた自分には、全く新しい世界が飛び込んで来た。
そして、ブレイクダンスでは無いスタイルのダンスがそこにはあった。
周りの友達は、当時、チーマーってのが流行ってて、刺激を欲しいヤツはそのメンバーになったりで、音楽はほぼ、ハードコアやPUNK。その当時の自分はそれとは違う何かを求めていた気がする。
で、ダンスに興味を持った訳です。
当時はそのダンスが何のダンスジャンルなんか全然知らなかったし、見よう見まねっ、てヤツでスタート。
当時はMC HAMMER なんかも大流行していて、洋楽が好きだった記憶は無いけども、自宅にも親父が持ち込んだであろうMC HAMMERのCDやVHS(ビデオテープ)があった。
それなんかのステップを真似してみたり。
当時の静岡でのダンスの情報源といえばテレビでDance Dance Danceって番組がやってたぐらいで、少しするとダンス甲子園が始まって、その後、ZOOの登場!(前後は定かではないが)
でも、静岡ではここが1番早かったであろう場所。
浅間通りのちょっと入ったところに
"Style"
っていう、B系専門の洋服屋があって、そこはそこでまた、コアな先輩達の集まる場所。ドレッドやボックス頭の人達がいて、強面。そこには見たことのないビデオがいっぱいあって、制服着たまま、自転車で恐る恐る行ってた。簡単には見せてくれなかったし、高校生の自分にはウエアーも高かったなぁ。買える範囲で。
自分的にはそこで見るダンスがストライク!情報的には静岡で1番速かったと思う。New School(HIP HOP、HOUSE)っていう新しいダンススタイル。ALIVE TVやZOO裏の映像。
POLO !
で、同じ高校でも2、3人ぐらい興味ある友達がいて、練習を初めたわけ。
でも、高3なったあたりで1人になってしまったので困っていると、1学年上にダンスをやっている先輩がいるって事で紹介してもらい、その先輩の所属しているチーム練習に参加し始めた。それが、Street Funkys っていうチーム。当時のメンバー構成は30代のリーダーが1番年上で、数人の社会人と大学生や1つ上の学年の高校生が数人。ブレイキンを主体に、当時流行っていた複合ジャンルスタイル、POPやI.S.D(New Jack Swing)を取り入れたスタイル。
少しそれるけど、
静岡の他のチームは、LOCKやSOULダンス中心の"OB-1"(OB-1 Jr,ってのもいたなぁ)や、女性のみのJAZZのチーム"Seventh Avenue"がよくDiscoでショウケースをしていた。
ゲストダンサーには東京から"Tokyo All Stars" (shuさん、Yanagiさん、OZさん、Kenyuuさんなど)が来ていて、目の前でバチバチのHITやWAVE、ヘッドスピンを決めるわけですよ。あの衝撃がヤバかった!

で、話しを戻して、、、
暫くすると、同じ歳の違う高校に通う子達も集まって来て、みんなで練習してました。作品作ったけど、ダメだしされたりして。

週2ぐらいの練習日で、当時、部活でサッカーをしてたので、部活終了後、練習場所へ自転車で向かう訳です。
家に帰るのは23:00過ぎ。よくお袋に怒られてました。でも、また行ってしまいます。

ショウに出してもらったり、高校生では見れない世界を背伸びしながら見せてもらったりしました。
それからのめり込む様にダンスにハマって、色々な人との出会いで、今に至ります。
世代でいけば、New School の第1世代にあたるのかな?
当時の静岡にはこの辺からダンスを初めた人、そして現在まで続けている人って少ないのでちょっと寂しい。
そこからの話は濃いモノで、長くなるのでまた、後日にしておきます。
静岡にも諸先輩がたがいて、土台があったお陰で、今日のダンスシーンがある訳ですね。
感謝です。

Posted by HOODstudioszok at 23:23│Comments(0)